ジブリの世界の様な神話
長年その土地で育った樹木も年数と共に巨木となり日本の住宅環境下では伐採の依頼等も造園の仕事を行っていれば少なくはありません。
地域によって植えられている高木樹種に色々と地域性はありますが、私の住む千葉(関東圏)ではケヤキ、シイ、クス等の高木樹種を農家や旧家で良く見受けられます。
そもそも庭木としては成長が早く鑑賞用としては向くはずの無い樹木達が何故庭に植えられてきたのでしょうか?
そこには現代と昔と家に対する考え方の違いを感じさせるお話がありました。
そもそも一代で壊れてしまう現代建築とは対照的に何代も先を見据えた建築であった時代。
柱1本の製材の手間から材料の組み合わせに至るまで、そもそも考え方ひとつでこだわりが変わってしまいます。
そう、農家や旧家に良く見られる高木樹種達は材料として植えられた樹木であったのです。
家の大黒柱が痛み始めた頃成長した庭木を、材料として使う。
本来植えられた先人達の知恵をせめて何かに利用する事が出来ないものかと考え伐採材も保管しております。
いつか特別な何かに利用する為に。
伐採工事の無事とその土地の環境が急激に変わる事の2次災害を沈めてもらう為、せめてもの儀式として椎乃庭では塩、米、酒を供えております。
神道の世界では木を切る事でその木に宿っていた魂が拠り所を無くし空中を漂うらしい。
その木の魂のよりどころを造る為に伐採した大木に挿し木をします。
当然大木に小さな枝が付くことはありませんが魂の拠り所を残す。
輪廻転生失った命をゆっくりと土に返し、また再び新しい命として生まれ変わる。
まるでジブリの世界の様な神話。
日本人の生き方に何やら自然と共に生きてきたルーツを感じさせるお話でした。